世界的ロックバンドとして名を知られるONE OK ROCKのTakaですが、ジャニーズに所属していた過去を持ちます。しかしNEWSとしてデビューした後3ヶ月で脱退してしまいます。一体何が原因で、Takaはジャニーズを辞めてしまったのでしょうか。この記事では、Takaのジャニーズ時代やバンドデビューするまでの経緯をまとめます。
目次
ワンオクTaka(森内貴寛)はジャニーズ出身!入所のきっかけは?
ロックバンドのボーカリストとして活躍するワンオクTaka(森内貴寛)ですが、元々ジャニーズ事務所に所属していたという事実はあまり知られていないかもしれません。まずは、彼がジャニーズ事務所に入るきっかけとなったエピソードやデビューについての情報をまとめます。
ワンオクTakaのジャニーズ事務所入所のきっかけ
ワンオクTakaがジャニーズに所属することになったきっかけは、彼が小学生の頃に遡ります。父の森進一と少年隊の舞台を見に行った際、Takaはダンスに魅了され自分も踊りたいと父に話します。
そこで、森進一は学業に支障をきたさないようにとの条件付きで、彼のジャニーズ事務所入りを許可しました。13歳になったTakaは、2001年にジャニーズ事務所の養成所に通うようになります。
森進一と森昌子の息子である彼はまさに話題性抜群の存在で、メディアに多数取り上げられるようになり、ステージで父の代表曲「襟裳岬」を歌うこともありました。
また、両親の影響もあってか事務所内では特別待遇といわれるような措置を受けていたようで、学業を優先させるためレッスンを土曜日のみに限定してもらっていたと言います。しかし、当時から彼のずば抜けた歌唱力と可愛らしいルックスは評判だったとのことです。
入所からわずか2年後にNEWSのメンバーとしてデビュー
前述のように、両親の影響もありジャニーズJr.時代から世間の注目を集めていたTakaですが、入所して2年が経った2003年9月には、NEWSのメンバーとして、正式にデビューすることが決定します。
ワンオクTakaの弟・Hiro(森内寛樹)も元ジャニーズ!
ワンオクTakaの弟は、マイファーストストーリーというバンドでボーカルを担当しています。こちらのバンドもワンオクロックに劣らず人気があり、弟はHiro(森内寛樹)という名前で活動しています。
彼も兄であるTakaと同様、当初はジャニーズに所属していました。Hiro(森内寛樹)がジャニーズ事務所に所属したのは2002年12月1日のことで、当時小学2年生でした。さらに彼はこの時史上最年少のジャニーズJr.であったことからも注目されます。
テレビ番組「Ya-Ya-Yah」では、兄と初共演し「森内兄弟」として紹介されたことで注目を集めます。事務所の方針が、二人を兄弟としてセットで売り出していきたいというものだったと考えられるでしょう。
なお、Hiro(森内寛樹)がジャニーズに入所した2002年の同期には、現在Kis-My-Ft2のメンバーとして活躍している北山宏光・玉森裕太の他、NEWSとして活動していた手越祐也、ジャニーズWESTの濵田崇裕・桐山照史、Hey!Say!Jumpの八乙女光らがいます。
ワンオクTakaのNEWS時代の活躍は?
現在は世界的ロックバンドのボーカリストとして日本国内外で活躍を続けるTakaですが、NEWSに所属していた時代はどのような活躍を見せていたのでしょうか。ここからは、TakaのNEWS時代の活躍について迫ります。
「親(森進一)の七光り」と猛バッシングを受けていた
ジャニーズ事務所に所属していた当時から並外れた歌唱力と可愛らしいルックスを誇っていたTakaですが、事務所に入所してからデビューまでのスピードが一般のジュニアに比べて異例の早さであったことから、彼のことをあまり良く思わない人たちもいたようです。
父の森進一の公式ホームページに苦情が寄せられ、一時ホームページが閉鎖されるなどの事態が発生するほど、そのバッシングは激しいものでした。
ジャニーズ事務所は、オーディションに受かるまではもちろん、受かってからも厳しく長い下積み時代を送ることが通例であり、メジャーデビューするには先輩グループのバックダンサーとして経験を重ねるなど、地道な努力を続けてなくてはなりません。
それでもデビューできない人たちも大勢いるのです。ジャニーズJr.を応援している方からすると、Takaのスピード出世は親のコネだと移ってしまったのでしょう。
また、Takaが芸能界での活動を始めるようになった頃、両親もそれまで一時的に休止していた芸能活動を再び始めるようになっており、親とのコミュニケーションの時間が不足してしまうようになったようです。
それまで押さえつけられ窮屈な教育方針のもと育てられたTakaは、その反応で自由を求め、髪を染めてピアスを開け、学校にも行かなくなり悪い仲間たちと連むようになってしまったようです。
ワンオクTaka本人が「本当に悔しかった」と語ったことも
ジャニーズ事務所に入っていた当時、世間からバッシングを受けていたことについて、Taka本人は後にこのように話しています。「親の七光りみたいな感じの扱いを3年間ずっとされて。本当に悔しかった」。
この当時のことは彼にとって一種のトラウマのようになってしまったようで、憧れだったはずの世界は苦痛を感じる居場所に思われるようになっていったと考えられます。
ワンオクTakaがジャニーズを脱退した理由は?
NEWSとしてデビューが決まったTakaでしたが、その後すぐにジャニーズ事務所を脱退してしまいます。なぜ彼はジャニーズ事務所そのものを抜けてしまうに至ったのでしょうか。ここからは、ワンオクTakaがジャニーズを脱退した理由に迫ります。
表向きの脱退理由は「学業に専念するため」
ワンオクTakaがジャニーズを脱退した表向きの脱退理由は、「学業に専念するため」というものです。脱退が発表されたのは、NEWSのメンバーとしてのデビューが決まったわずか3ヶ月後のことでした。
本当の理由は雑誌「BUBUKA」に掲載されたスキャンダル
Takaのジャニーズ事務所脱退に際しては、学業に専念するためという理由が用いられましたが、実際には当時あるスキャンダルが発生したことが原因ではないかと言われています。
原因と考えられるのは雑誌「BUBUKA」に掲載されたスキャンダルで、この時掲載された写真には、Takaが友人とカラオケを楽しむ様子が映っていました。しかしテーブルの上にはタバコが置かれており、当時彼が15歳だったことから物議が醸されました。
また、彼女と思わしき女性とのツーショットや添い寝の画像も掲載されています。この画像が掲載されたのは2003年11月号のBUBUKAであり、NEWSの結成が発表された2003年9月とほぼ同時期です。
デビューの直後に発売された雑誌にスキャンダルが掲載されたことにより、TakaはNEWSの活動を休止せざるを得なかったものと思われます。
また、この一年後に慶應義塾湘南藤沢高等部を退学したことに関しては、ある噂があります。それは定期テストでのカンニングが発覚したというもので、こちらの真偽は定かではありません。
ジャニーズ脱退からワンオクTakaとして活動するまでの経緯
Takaがジャニーズ脱退してからワンオクとして活動するまでの経緯について、順を追ってみていきましょう。まず、2003年12月にジャニーズ事務所を自主退所します。その後2004年4月に慶應義塾湘南藤沢高等部に入学しますが、一年後には自主退学します。
5月にはONE OK ROCKに加入し、2006年に芸能事務所アミューズと契約します。7月26日にはインディーズでCDデビューしました。2021年4月にはアミューズから独立し、株式会社10969所属となっています。
ワンオクTakaのプロフィール
Takaは本名を森内貴寛(もりうちたかひろ)と言います。1988年4月17日生まれ東京都出身で、身長は168cm・血液型はA型です。歌手の森進一と森昌子の長男として生まれ、弟にロックバンド・MY FIRST STORYのHiroを持ちます。
小学生時代はサッカーチームに入っていましたが、中学でレベルが激変したことでショックを受け退部しました。そしてジャニーズ事務所に入るもスピード退所し、RIZEの金子ノブアキのライブに誘われたのを機にロックに目覚めます。
高校を中退した後、父に勘当されアルバイトを始めて音楽学校に入ります。そして、SFC(慶應義塾湘南藤沢)時代の友達とバンドを結成し、ライブ活動をスタートさせます。そこに足を運んだのが、当時ONE OK ROCKを結成したばかりだったToruでした。
そこでTakaの歌唱力に衝撃を受けた彼は熱烈に勧誘を繰り返し、引き入れることに成功します。ONE OK ROCKの結成5年目の武道館ライブではTakaが両親を招待し、二人への謝罪と感謝の気持ちを込めた楽曲を演奏しました。
森進一の息子としてではなくワンオクtakaとして大活躍!
takaは現在、両親のコネなど全く感じさせないような目覚ましい活躍を見せています。実際、ワンオクロックのボーカリストとしてTakaのことを知った後で、両親が大物であったことを知り驚いたという方も多くいるほどです。
かつて親の七光りだとバッシングを受け辛酸を舐めた経験こそが、彼をここまでの大物にさせたのかもしれません。これからもいちアーティストとして時代を牽引してくれるであろうTakaの活躍に期待しましょう。