テレビでは見かけない日はないと言って良いほど、バラエティ番組を中心に大活躍のマツコ・デラックスさん。人や物事に対して毒舌ながらも率直な意見を述べ、その誰もが納得する頭の回転の早さでMCとして数多くの番組を仕切っています。今回は、そんな大物マツコ・デラックスさんの本名、家族について調査しました。ベールに包まれたマツコさんの生い立ちを少し覗いてみましょう!
目次
マツコ・デラックスの本名や生い立ち【プロフィール】
マツコ・デラックスさんは、歯に衣着せぬ 物言いで「芸能界のご意見番」とも称される人気タレントです。女装愛好家でその個性的なふくよかな見た目も魅力ですが、厳しさの中に愛情がある真意を突く発言が多くの方の共感を呼んでいます。
たくさんの番組MCに起用され、『アウト×デラックス』『マツコ会議』『マツコの知らない世界』『マツコ&有吉 かりそめ天国』など、自身の名がついた冠番組も数多くあります。本記事では、そんな人気タレント・マツコ・デラックスさんの生い立ちについて迫ります。まずは、プロフィールや本名、芸名の由来についてチェックしていきましょう。
マツコデラックスのプロフィール
本名 | 松井 貴博(まつい たかひろ) |
---|---|
出身地 | 千葉県 |
生年月日 | 1972年10月26日 |
年齢 | 49歳 ※2022年10月現在 |
血液型 | A型 |
職業 | コラムニスト・タレント・司会者 |
所属事務所 | ナチュラルエイト |
マツコデラックスの本名
マツコデラックスの卒アル!
本名は松井貴博と言うのか。 pic.twitter.com/nJW8TxhEcn— 櫻井はるき (@hjcq4856) November 2, 2021
ご存知かと思いますが、マツコ・デラックスさんはおネエタレントで性別は男性になります。本名は非公開ですが、「松井 貴博(まつい たかひろ)」さんという名であることが、流失した卒アルから判明しています。
ごく平凡な男らしい名前で、卒アルを見てみると昔からぽっちゃりした体型ではありますが、今のマツコさんからは想像できない、普通の男性でした。
マツコデラックスの名前の由来
ほとんどの方が知っている「マツコ・デラックス」というインパクトのある芸名の由来は何なのか気になりませんか?自身の番組『マツコ&有吉 かりそめ天国』で、マツコさんが芸名について触れる場面がありました。
マツコさんは学生時代から、本名の”松井 貴博”をもじって「マツコ」というニックネームで呼ばれていたそうです。自身の芸名について「マツコじゃちょっとシンプルすぎるなと思って、ちょっと豪華にしようと思ってデラックスって付けただけ」と明かしていました。
「マツコ」は慣れ親しんだ愛着のある名前のようですが、「デラックス」は名前を豪華にするための装飾的なもののようです。他にも「マツコ・ロワイヤル」「マツコ・インターナショナル」「マツコ・ユニバーサル」なども候補に挙がったようですが、消去法で『マツコ・デラックス』になったそうです。
マツコ・デラックスの本名や生い立ち【女装に目覚めたのは?】
マツコさんは性同一性障害ではなく、女装家です。女装家というカテゴリーでは「ゲイ」になり、本人曰く、「性別としての女性になりたいとは思わないし、性同一性障害でもない。男の身体でいることは苦痛ではないし、不自由は感じていないが、女装はしたい。」とのことです。
では、マツコさんは何歳で恋愛対象が同性と気付き、いつ頃から女装に目覚めたのでしょうか。以下に詳しく見ていきましょう。
6歳で同性愛に気が付く
マツコさんは、6歳の頃から同性を恋愛対象として見ていたようで、同級生の男の子を突き飛ばして好意を表していたそうです。幼少期、好きな子に意地悪やちょっかいをかけてしまう男子はいませんでしたか?マツコ・デラックスさんも対象が同性というだけで、ごく普通の男の子だったのでしょう。
高校時代に女装を始める
マツコ・デラックスさんは複雑な自分について思春期は思い悩んでいたようですが、次第に「こうなったらどうにでもなれ!」と思うようになり、徐々に本当の自分を解放するようになっていきます。
完全に女装をするようになったのは高校生の頃でした。資生堂の企業文化誌『花椿』に刺激を受け、服飾やメイクへの興味をはっきり持つようになり、遊びに行く時はコンビニのトイレでメイクや着替えをしてから出かけていたようです。
そのうち、女装仲間が自分でやっているイベントにゲストで呼ばれるなど、ちょっとしたお小遣い稼ぎにもなっており、後に「これがマツコ・デラックスの”キャラ誕生”の始まり」と明かしていました。
ゲイ雑誌の編集者として働く
マツコさんは高校卒業後、美容専門学校に進み「美容師免許」を取得しています。卒業して一時美容師として勤めていた時期もありましたが、「自分の居場所ではない」と感じ退職しています。
その後「薔薇族」「SAMSON」「G-men」に並ぶ人気ゲイ雑誌『Badi』の編集部に転職、記者・編集者などを務めました。熱心な仕事ぶりが高く評価されていましたが、人間関係が原因で5年で退職、千葉の実家で引きこもり生活となりました。
マツコ・デラックスの本名や生い立ち【家族は?】
マツコ・デラックスさんがどんな環境で育ったのか気になる方もいるでしょう。ここでは、あまり知られていないマツコさんの家族についてご紹介します。調べてみると、マツコさんは少し変わった家庭で幼少期を過ごしていたようです。
変わった家庭だった
マツコさんは一人っ子で、両親と3人家族でした。父親はマツコさんと違って華奢で小柄、特段なんの特徴もなく普通のサラリーマンだったようです。母親は性格や顔立ち、体格、話し方までマツコさんそっくりで、特に顎のラインと目元はよく似ているそうです。
そんなマツコさんのご家庭は少し変わっており、電化製品が故障しても新しいものを購入せず、父親が修理して長く使っていたそうです。電話やエアコン、CDプレーヤーなども、他の家庭はどんどん新しいタイプのものになっていく中、マツコさんの家は5年ほど遅かったのだとか…。
買い替える頃は購入時と色が変わるほどに使い込んでおり、当時マツコさんは「うちは貧乏なんだ」と思っていたようです。父親は普通のサラリーマンなので、貧乏というわけではなく節約家だったのではないでしょうか。
子供時代は冷めていた
マツコさんは、以前トーク番組で自身の子供時代を振り返り「何か嫌な子どもだったのは覚えているんですよ。無邪気さだったり、健気さだったり、そういった匂いは一切しない子というか、すごく冷めている子でしたね。」と語っていました。
周りの子供達が当時流行ったファミコンなどで盛り上がっていても、「何がおもしろいの?」と子供扱いするような大人びた子供だったようです。
ただ幼少期から話術には長けており、優等生から不良にまで慕われ、寂しい思いや仲間外れにされることはなかったそうです。しかし、そんな環境でも「友達といても全く楽しいと思えなかった」と不登校だった時期もあったと明かしていました。
母からの手紙に涙
マツコさんは、生まれてこの方、両親に対して自身のセクシャリティに関して話したことがありません。職業に関しても説明しておらず、テレビに出るようになっても、親に見られないように、全国ネットやゴールデンの時間帯を避けて出演していたそうです。
そんな時、マツコさんは母親から1通の手紙を受け取ります。2011年、マツコさんがまだ芸能界にデビューして間もない頃でした。手紙の最後は「今日も5時の生放送をみます」で締めらていました。
マツコさんはこれまで隠してきたのに母親は全てを知っていた、女装をした息子をずっと見ていたことを知り大笑い、そして孤独ではない自分を再確認し号泣したそうです。そんな母親も、82歳という年齢で2016年に死去しています。自分を陰から支えてくれた母親を失い、さぞかしショックも大きかったことでしょう。
マツコ・デラックスの本名や生い立ち【出身地は?】
ここでは、マツコさんの出身地についてご紹介します。調べてみると、マツコさんはあの大物芸能人と同級生であることが分かりました。詳しく見ていきましょう!
マツコ・デラックスは千葉県出身
マツコさんさは千葉県千葉市稲毛区の出身です。稲毛区内の宮野木町もしくは稲毛町に実家があるという噂があります。稲毛区は千葉市の中心地にある中央区の北部に位置しており、他の出身有名人ではお笑い芸人の小島よしおさん、木村拓哉さんがいます。
マツコ・デラックスと木村拓哉は同級生?!
ドデスカ♪
拓哉とマツコの同級生コンビ大好き💕
今夜楽しみ😊#徹子の部屋 #木村拓哉#マツコデラックス pic.twitter.com/P5ZYrJx6DF— みー♡🚢CREW☠️🪶 (@minami1120) April 1, 2020
出身が同じ木村拓哉さんとマツコさんは、何と高校時代の同級生だそうです。クラスは違いますが学年は一緒で、マツコさんは学生時代のキムタクについて「かわいかった」 と明かしています。
同級生といっても高校1年生の時のみで、キムタクは芸能活動を本格的にやり始め、東京の学校に転入しています。交流はあまりなかったようですが、通の友人を介して1~2回ほど話したことがあるそうです。
お互いに芸能活動を始めてから高校の同級生と気付き、それから木村拓哉さんの家に招かれるなどプライベートでも親交があるようです。マツコさんはキムタクと共演した際、「家は立派ですけど普通の家ですよ。ビックリするくらい」「家だとオーラがなくなる」と私生活を暴露しキムタクを苦笑させていました。
マツコ・デラックスの引きこもり時代を救ったのは中村うさぎ
マツコさんは、人気ゲイ雑誌『Badi』の編集部を退社後、実家に戻り約2年間引きこもりの生活を送っていました。そんなマツコさんを救い出したのは、小説家でエッセイストの中村うさぎさんです。
中村うさぎさんは、マツコさんの存在をゲイ雑誌で知ります。才能を見抜いたうさぎさんは、早速「会いたい」とアプローチ、当時まだ無名のマツコさんを自身の対談集『人生張ってます』のゲストに抜擢したのです。対談では2年間の引きこもりのストレスを発散するかのようにマツコ節を全開しました。
このことがきっかけで、マツコさんは自己肯定感を持つことができ、再び社会復帰できるようになったそうです。うさぎさんにから「アンタは書くべき人間だ」ともアドバイスを受け、コラムニストとして文章も書き始めました。マツコさんが今大活躍しているのも、中村うさぎさんの存在が大きいでしょう。
マツコ・デラックスが大活躍する裏には壮絶な過去がある
今や自身の冠番組を持つほどの、売れっ子オネエタレントになったマツコ・デラックスさんですが、その裏には自身のセクシャリティ関わる悩みで不登校や引きこもりなど、壮絶な過去がありました。
そんな過去から抜け出し、今ではオネエタレントの中心的な存在でテレビでは見ない日がないほと大活躍されています。これからも、人や物事に対して毒舌で歯に衣着せぬ物言いでながらも、愛情ある”マツコ節”で私達を楽しませてくれるでしょう。今後のマツコ・デラックスさんの更なる活躍に期待しています!