『有吉ゼミ』や『有吉の壁』など数多くの冠番組を持つ有吉弘行さんは、大御所お笑いタレントたちと並ぶ年収だと言われています。再ブレイクを経て、現在の地位を確立した有吉弘行さんですが、どん底時代はかなり苦労をされたようです。
今回は、有吉弘行さんのプロフィールや猿原石時代の活躍、現在の年収について紹介します。浮き沈みが激しい有吉弘行さんの芸能界での経歴を順を追いチェックしてみましょう。
有吉弘行とは
まず初めに、有吉弘行さんのプロフィールや生い立ちを紹介します。こちらの項目では、有吉弘行さんが芸能界へ入る前の様子を詳しく記載していくので、ぜひご覧ください。
有吉弘行のプロフィール
氏名 | 有吉 弘行(ありよし ひろいき) |
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生年月日 | 1974年5月31日(2022年10月現在:48歳) |
出身地 | 広島県安芸郡熊野町 |
事務所 | 太田プロダクション |
ジャンル | お笑いタレント・司会者 |
有吉弘行さんは広島県安芸郡熊野町出身のタレントで、自称「広島が生んだ快男児」だと名乗っているそうです。有吉弘行さんの父親は無職期間の方が多かったらしく、代わりに母親が内職やパートに勤しみ生計を立てていました。
兄弟は4歳年下の弟がおり、2017年放送の『有吉弘行の田舎発見バラエティ!「明日あいたい島村さん」』で共演を果たしています。また、どん底時代に支えてくれた上島竜兵さんのことを慕い、竜兵会にも所属していました。
自身の番組『マツコ&有吉 かりそめ天国』では自身の怒りの沸点は「上島竜兵を他人にバカにされた時」と語っています。それほど慕った上島竜兵さんが突然死去した際に、ネットでは有吉弘行さんを気に掛ける声が多く挙げられました。
有吉弘行の生い立ち
自然豊かな地で育った有吉弘行さんは、小学生~高校生までかなりモテていたそうで、モテエピソードを広島の同級生たちが語っています。
モテモテ時代も今と変わらず毒舌だった有吉弘行さんは群がる女子たちに「バカ!ブス!」と厳しい言葉を投げかけますが、時折見せる優しさがギャップを生み、多くの女子生徒たちが告白したそうです。
しかし、当時の有吉弘行さんは女性に興味がなかったため、どんなに可愛い女の子からの告白も断っていたと言及してます。また、高校時代に所属していた柔道部では練習をしずに、ずっと寝転がっていたそうですが、後に『リングの魂』の柔道企画で黒帯(初段)を取得しました。
その甲斐あり、バラエティ番組では度々共演者の芸人たちを背負い投げする姿や、組手で押さえ込む姿を披露し、容赦ない封じ込み方がウケています。
有吉弘行の現在の年収はどのくらい
続いて、有吉弘行さんの2021年の年収や嫁の夏目三久さんの年収を紹介します。有吉弘行さんは単独でも物凄い年収を得ているようですが、2021年4月に結婚した夏目三久さんの年収を合わせた世帯収入は、さらに驚く額だそうです。
有吉弘行の2021年の年収
有吉弘行さんは名だたる司会者の中でも多くの冠番組を持つタレントで、現在の冠番組は『有吉ゼミ』や『有吉の壁』『マツコ&有吉 かりそめ天国』『有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?』など計11本あります。
そんな売れっ子有吉弘行さんの推定年収は、なんと驚きの5億だと言われています。テレビ出演1本当たりのギャラが100万~150万円だそうで、冠番組以外にも『ロンドンハーツ』や『アメトーーク!』に準レギュラー出演もし、ラジオ・CMもありますし、トータルのギャラを合わせると億越えは容易に想像できます。
2022年の年収はもっと増える?
有吉弘行さんの2021年の年収は推定5億と言われていましたが、2022年の推定年収はさらに上の8億だと言われているのです。コロナの影響で芸能界の仕事も減少傾向にありましたが、2022年からは徐々に仕事が戻ってきているため、有吉弘行さんの年収も去年より上がるのではないかと考えられています。
結婚した夏目三久の年収もスゴイ?
有吉弘行さんの年収でも十分すぎますが、フリーアナウンサーで妻の夏目三久さんの年収も一般女性と比較するとかなりのものでした。局アナ時代の夏目三久さんの推定年収は800万だと言われていましたが、フリーアナウンサーに転身後は人気がさらに高まったことも相まり、推定年収は1億だそうです。
これだけ年収が上がった理由は、有吉弘行さんと共演した『マツコ&有吉の怒り新党』での切れのある新興ぶりにありました。芸能界の中でも扱いずらそうな大御所二人に、物怖じしない夏目三久さんの返しが高く評価されたのです。
収入が増えた有吉弘行の現在の貯金額は?
有吉弘行さんは元々倹約家としても有名で、2014年には1年で5,000万を貯金に回したそうです。その為、現在の有吉弘行さんの貯金額は10億と言われています。
この10億と言う数字は2014年の5,000万の貯金を毎年されている過程で算出されているので、夏目三久さんの収入や、有吉弘行さん自身の収入の増加も考慮すると、実際は10億以上の貯金をしているのではないでしょうか。
有吉弘行のデビューから現在までの活躍
続いて、有吉弘行さんの猿岩石時代からブレイクが過ぎたどん底時代、再ブレイクを果たした現在までの活躍を紹介します。浮き沈みの激しい有吉弘行さんの芸能生活をとくとご覧ください。
20歳でデビューして猿岩石を結成し活躍
有吉弘行さんは、1994年に太田プロダクションへ所属すると、森脇和成さんと「猿岩石」を結成しデビューしました。デビューから2年後の1996年には『進め!電波少年』でヒッチハイク企画に抜擢さると、一気にブレイクしたのです。
ブレイク時には『白い雲のように』をリリースし、著書も大ヒットするなどトントン拍子に上手く行きますが、ブレイクは長く続きませんでした。
ブレイク後に年収激減のどん底生活
猿岩石としての最高月収は2,000万だった有吉弘行さんですが、ネタが評価された訳ではなく、番組として盛り上がっただけだったため、番組の企画が終わると徐々に仕事が減少したそうです。
また、給料は歩合制へと変わり、一時の月収が嘘かのように8万~9万に落ち込むと、ひどいときは収入0の月もあるほど、仕事がない時代を迎えました。幼少期から毒を吐きプライドが人一倍高かった有吉弘行さんはアルバイトをすることが許せず、人の目を気にして屈辱的な日々を送ったそうです。
ピン芸人で復活し再ブレイク
2004年には猿岩石を解散すると、ピン芸人として活躍を再開させます。長いどん底時代を経た有吉弘行さんの転機となった番組は、2004年放送の『内村プロデュース』でした。
プライドも捨て裸でリアクション芸を全うした有吉弘行さんは、この番組を機にテレビでの仕事が徐々に戻り始めます。この頃には0の月があった月収も30万ほどには回復し、猿岩石時代の貯金を切り崩す生活から脱却したのです。
当時を振り返り有吉弘行さんは、命の恩人として内村光良さん、さまぁ~ずの二人には大変感謝をしていると言及しています。
現在のレギュラー・CM本数
さらに現在の有吉弘行さんの芸風を生み出したのが、2007年の『アメトーーク!』でした。共演者の品川祐さんに「おしゃべりクソ野郎」とあだ名をつけたことで、スタジオがドッと笑いに包まれたそうです。
その年の「アメトーーク! 年間流行語大賞」で「おしゃべりクソ野郎」が選ばれるほどの沸きっぷりが業界内でも話題を呼び、毒舌な有吉弘行さんによる的を得たあだ名芸がブレイクしました。2007年を機に冠番組やCM、準レギュラー番組が一気に増え、見事芸能界へ返り咲くことができたのです。
有吉弘行のどん底時代の生活と再ブレイク後の生活
続いて、有吉弘行さんの再ブレイク前後での生活の変化を紹介します。再ブレイク前の有吉博之さんは、現在の活躍から想像をつかないほどの生活をしていたようです。そこからの返り咲き今では巨額の年収を得ていますが、生活も大分変化したのでしょうか。
有吉弘行のどん底時代の生活
どん底時代の有吉弘行さんは、猿岩石時代にブレイクは長く続かないと悟り給料の多くを貯蓄に回していたことで、4,000万ほどの貯蓄を切り崩しながら生活していました。シンクで頭を洗い、アルバイトもせずに家に籠りっきりの生活に変わったことで、有吉弘行さんは自殺まで考えていたそうです。
有吉弘行の再ブレイク後の生活
どん底時代を経験した有吉弘行さんは、貯蓄の大切さを人一倍理解しており、ブレイクし安定した収入を得ている現在でも、「5,000円以上の外食をしない」など独自のルールを設け、派手な生活はしていないようです。
お金を使うとすると、後輩芸人に食事を奢ったり、旅行に連れていくことだそうで、どん底時代に上島竜兵さんにしてもらっていたことを引き継ぎ、後輩たちを気遣っていました。だからこそ、今となっては業界での人望も厚いのでしょう。
有吉弘行は高年収の現在も堅実な生活を続けている
今回は、有吉弘行さんのプロフィールや芸能生活、年収を紹介しました。二度のブレイクを果たした有吉弘行さんだからこそ、現在の活躍に結び付いているのではないでしょうか。
『有吉の壁』を見ても、後輩芸人たちを大切にしていることが分かりますし、多くの後輩たちから慕われている有吉弘行さんは、今後も一つ一つの仕事を大切にしながら視聴者を楽しませてくれるでしょう。